体験談(アメシスト)


不毛な時代

40代 女性


 入院直前の私は薄暗い夜明け、勤務先に向かう車でいつも、砂の舟に乗って沖に出るような気分でした。二日酔いで重たい体に鞭打って、早朝出勤していた私は、残業や休日出勤に明け暮れ、一生懸命働いているのに沈んでいくような感覚でした。努力しても報われず、でも「努力をしなければ報われない」と何かに取り憑かれたような生活を何年も続けていました。仕事をしている自分しか肯定できず、それを努力とはき違えていました。

 私は、商業高校を卒業し就職した頃から摂食障害が始まりました。「痩せれば綺麗。痩せれば幸せになれる。」そんな歪んだ価値観に捉われ、大量に食べた物を吐いたり、下剤を乱用したり、異常な食生活をしていました。高校から覚えた夜遊びは、名古屋で勤め始めると更に行動範囲が広まり、仕事帰りには濃い化粧とハイヒールが似合う格好で武装し、夜な夜な遊び回るような生活でした。失恋する度に情緒不安定になり、異常な食欲は、飲酒欲求に置き換わって、少量のつまみで大量の酒を飲むようになりました。すぐに精神は病み始め、精神科につながると今度は、処方薬の乱用も始まりました。不眠症、うつ病、摂食障害が治るどころかどんどん悪化し、酔いを求めるというより、正気を失うような泥酔を求める異常な酒の飲み方になり、精神安定剤や睡眠薬の乱用も加わってふらふらの状態でした。自殺願望も高まっていき、酒の勢いをかりて処方薬を大量に摂取し自殺を図ったことも多々あります。自宅の浄化槽は嘔吐物で異臭がするようになり、自室の畳は失禁で変色し、我が家は荒んでいきました。毎晩泥酔し、気狂いになる娘を何とかしようとしたのは母だけでした。しかし、そんな母にも限界がありました。

 駅前の下水が整った賃貸で一人暮らしをするようになり、私の異常な日常は誰の目に付くこともなく、誰にも止められず、長い年月繰り返されてしまいました。転職しながらもかろうじて仕事を続けてこられた私は、人生の一番大切な時期である20代30代を不毛(なんの進歩も成果も得られないこと)な時代として終わらせてしまったのです。

 ブレーキの壊れた暴走列車のような私の異常な日常に終止符を打てたのは入院治療でした。罪悪感の塊で、世間から隠れるように生きてきた自分の苦しみが、依存症という病識として理解できた時、救われたような気がしました。

 まもなく10年目を迎えられる今、開き直りも手伝って少しだけ生きるのが楽になってきました。一緒に断酒会へ入会した父も最近、大病を患い、散々苦労を掛けた母も認知症が進行し、その両親に対して、今やっと娘としての自覚が芽生えてきました。断酒を続け、親孝行できたらと思っています。